男女の不倫関係において、世間では愛人よりも男側の妻というポジションの方が優位かもしれませんが、実際のところはどうなのでしょう。誰かの妻になるということは、旦那の苦労をも背負うということ。決していいことばかりではありません。今回は、不倫経験者が「このまま愛人でいたほうがいいかもしれない」と感じた瞬間をご紹介します。
1:何人もの男に愛されている誰かの妻でもなく彼女でもない。「本命でない」ということは、誰からも大切にされていないように思われるかもしれません。
しかし、誰かの一番でない代わりに“何人もの男性の二番”であるかもしれないのです。
なので誰からも大切にされていないのは大間違い。“それなりに”大切にはされているです。
“それなりに”大切にしてもらえる
人は相手を大切に想うあまりに、時に行き過ぎた愛を相手に示してしまうことがあります。“行き過ぎた束縛”や“行き過ぎた愛”、それが今日のストーカー事件に繋がるのです。
誰かの一番ではなく二番でも、「それなりに愛されている」立場なら、重すぎる愛に苦しめられることはないでしょう。
また、何人もの男性から同時に愛を受けていても、二番であれば誰もそのことに対して文句を言いません。
一人の男から愛されるより、ほどよく複数の人から愛される幸せもあるでしょう。
2:嫌いになれば直ぐに別れられる夫婦も所詮は赤の他人。家族だ愛だのとぼやいても、体の中を流れる血は全く別物。
好きなうちはいいけれど、相手に感情がなくなってしまえば赤の他人と一緒にいる理由なんてないのです。
夫婦が別れられないストレス
一度夫婦になると、別れるのはかなり面倒。別れたくても別れられない、それだけでストレスです。
一度しかない人生をそんなストレスだらけの人生にしてしまうより、分かり合えない相手とは早い段階でお別れして、新たなパートナーを探すほうがいいのではないのでしょうか。
夫婦にならなければ、嫌になった瞬間、相手との連絡をすべて切ってしまえばいいだけの話。別れるのに面倒な手続きも法律も必要ありません。
3:競う相手がいた方が頑張れる何をするにも、良きライバルがいたほうがいいって言いますよね。勉強するにも誰か競う相手がいたほうが頑張れたり。これ、恋愛も同じです。
一生女でいれる
美に手を抜かなかったり、常に異性を意識して生きていると、一生女でいられるのです。
誰かの妻になったら異性を意識することさえ許されない場合もあります。しかし、旦那がこの世の全てではないのです。旦那より素敵な異性はたくさんいます。
常に異性の目を気にして生きていると、より洗練された自分に合う相手がそのたびに見つかるはずです。
どうでしたか?幸せの形は人それぞれ。世間一般的には、結婚が幸せなのかもしれないけれど、結婚して本当に幸せになった人は周りに何人いますか?
お互いに愛し合った仲でも、その熱が冷めると所詮赤の他人。他人同士で分かり合おうなんて無理な話なのかもしれませんね。
引用URL:http://woman.excite.co.jp/article/love/rid_Menjoy_284886/
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